自分とは異なる行動をする人たちを知る

私は自分勝手で他人のことはほとんど考えずに自分の好きなように生きている。もちろん、自分では他人のことも考えているつもりなのだけれど、他人のそれに比べると明らかにゼロに近い。更に悪いことには、それを自覚しているのに直せない。こういうのは、学生時代までに克服するべき短所なのだろうけど、こじらせて今に至っている。
社会人になってからは、どんなに考えが合わなくとも上司に対しては従順にしてきたが、同僚などについては「合わない」と思った瞬間から距離を置くスタイル。本当にダメだなと思うものの改善することができず今日に至る。
最近、職場で少し思うことがあったので、自分への戒めという意味でも書き残しておく。

興奮した採用候補者からのクレーム

数週間前一次面接を行った候補者から、先週、メールが届いた。内容は、「一次面接で面接官たちが非常に好意的で、最終面接にも呼ばれたと思ったのに、最終面接に呼ばれなかった。どうしてなのか。選考方法は一体どうなっているのか」というもの。地域本社の人事をとおして面接を行った候補者だったので、地域本社の社員から、「候補者から選考についてクレームメールのようなものがきている」と連絡があったときは、「齟齬なんていつでも起こりうるし、きちんと説明をして誤解をとこう」と思ったのだけれど、メールの文面を見た瞬間、そんな言葉は木っ端微塵に吹き飛んだ。
一緒に面接をし不採用の判断を下した社員にもメールを見せたところ、普段冷静な彼も同様に苛ついたらしく、「地域本社への回答にこのコメントを追加してほしい」と面接について事細かに記されたスクロールをしないと読み終えられないほどの長文が送られてきた。私の気持ちもカバーしていたそのメールを私はそのまま送り報告を終えた。

主観の押し付けへの苛立ち

何が私たちをこんなにもイラつかせたのだろうかと考えたとき、自分の主張だけを押し付けてくる相手の態度ではなかったろうかと思う。「面接は終始和やかで最終面接に呼ばれるようだった。」「他の会社よりも興味を抱いていることを言った(から、こっちの本気度も知っていてくれているはずだった)。」「他のポジションでの採用を検討してくれてもいいはずだ。」などなど。
一言も最終面接に呼ぶとは言っていないし、結果はメール連絡すると伝えたにも関わらず、二度も直接電話してきた。しかも他社の応募の関係上、結果を早く出してほしいというものだった。電話で、何度もスケジュールや通知方法について説明したこと自体、特にイラつくことはなかった。「この人、履歴書や面接では、さもしっかりしています的な感じを作ってたけど、一度や二度の説明では理解できない人なんだなぁ」と感じた程度だ。
だけど、何度同じ説明をしても結局自分の思い通りにならないことに対し文句を書き送ってきたその行為に、私は(もう一人の面接官も)我慢できなかった。

マイペースな同僚

最近、チームに入ってもらった同僚。一つ一つ細かな点まで指示をしなくてはいけず、更に齟齬が生まれやすいので、説明を繰り返す必要がある。時間に余裕があるときならば問題なく対応できるのだけれど、自分もタスクを抱え時間に追われている状況下においては、イラついてしまってとても冷たい自分が顔を出してしまう。そして、決まって後からそんな冷たい態度をとったことを激しく後悔する。
それでも私が使いたくない言葉があって、これまでその言葉を使ったことはない。それは、「それくらい自分で判断して行動して」という言葉。それなりにまともな言葉のような気がするのだけれど、中途採用の社員にとっては、会社の文化もまだわかっていない・過去データの在り処を全部抑えきれていない段階でこんな言葉を言われた日には、孤独でたまらなくなってしまう。

相手のことをもっと知ってみる

では、どうしてあげるべきなのか。きちんと時間を作って説明をすること。普段から、いざという時のための引継書を作成しておくこと。いろいろあるけれど、まず最初に、相手を知ることが重要なのかもしれない、と思い始めている。普通の人はこういうことを当たり前にできているのだろうけど、私はつい最近、やっと気がついた。
私の同僚の場合、すごくマイペースで「ホントにこんなこと聞いちゃいますか?」と思うような行動が多かったのだけれど、ふとプライベートの話をした際に、今までの行動がストンと腑に落ちた。私のバックグラウンドと近いものがあって、「あー、私もそんな風に言われてたっけな」と気づく点が多かった。
こちらも彼女の疑問がどうして生じたのだろうかと考えつつ、ひとつずつ対応することにしたところ、前よりも穏やかに接することができるようになってきたと思う。

自分の常識を疑う:万人に共通な常識なんて本当に存在するんだろうか

自分が常識と思っていることが他人にとっては常識ではないことが多々ある。私は、他人の常識を有無を言わさず押し付けられたとき、非常にストレスを感じる。前の上司や前任者がそういうタイプで、表面上は笑顔でいたものの毎日が地獄のようだった。「なんだその常識?これまでの会社じゃ、やっちゃダメな対応って教えられてましたけど。」と何回思ったかしれない。
一般化してしまう危険性は承知の上で述べると、バブルちょい前世代とバブル世代の常識に対する拒絶反応が著しい。「ノリ」で全てを解決しようとするノリが共感できないとでも言おうか。
私がバブル世代に抱いているのと同じように、バブル世代の人や他の世代の人たちも私たちの世代へ理解のできないモヤッとした感情を抱いているのかもしれない。
世代の問題ではなく、性格の問題だってある。社交的な人たちの常識と内向的な人たちの常識は異なるだろうし、体育会系と文化系の常識だって異なるだろう。
自分の常識を他人に当てはめようとしたくなる衝動は誰にでもあるのだと思う。運良く相手が同じ常識を共有しているならば上手くいくだろうが、特に会って間もない人とは共通認識など存在しないと諦めてコツコツ関係を築いた方がよっぽど意思疎通が上手くいくのではないかと、ここ最近の出来事を通して思う。

自分からのアプローチではこういう風に考えられるけど、相手からのアプローチが自分のと相容れない場合は、しばらくはやっぱり一番簡単な「距離を置く」という方法を取りそうだ。精神的に大人になるというのは難しい。

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